9月例会コンサート(第395回)のお知らせ 
9月の例会は、フェライン初出演のピアニスト、宮谷理香さんのリサイタルです。宮谷理香さんは1995年の国際ショパンコンクールで第5位に入賞された、日本でも屈指のピアニストです。プログラムは既にチラシでお知らせしておりますが、モーツァルト+その息子フランツ・クサーヴァー・モーツァルトのポロネーズで約半分、残り半分はショパンをお楽しみいただきます。

日時:2019年9月21日、14:00開場、14:30開演

会場名:代官山チャーチホール

入場料:3,500円(全席自由席) 会員3,000円


宮谷理香さんのプロフィール:金沢市生まれ。桐朋学園大学卒業、同研究科修了。95年ショパン国際ピアノコンクール第5位入賞。第23回日本ショパン協会賞他受賞。これまでにパリ、ウィーン等でのリサイタルの他、ショパン没後150年演奏会(ポーランド四都市)、国際交流基金の派遣による演奏会(ポーランド二都市/スペイン四都市)、オーケストラとの共演を始め、リサイタル、レクチャーコンサート、室内楽、学校公演等幅広く活動。全18枚のCDを発表。直近の12枚がレコード芸術特選盤。著書に「理香りんのおじゃまします!」。2017年春より「音楽の友」及び「ムジカノーヴァ」各誌にて連載。曲種を鮮やかに生かす第一級のピアニズムと冴え渡る音楽性、心に迫る演奏が熱い支持を集めている。演奏者からのメッセージ:初めて弾いたソナタはモーツァルトでした。そしてショパンは人生と共にある作曲家。フェラインの例会で、皆様にお会いできる喜びと感謝を音による無限の言葉に乗せてお届けいたします。     (澤田名誉会長)


【未購入会員様へのご連絡】売れ行き好調のため、チケットは残り10枚程度となりました。当日券は売り切れとなる可能性がありますので、参加希望の会員様は事前予約をお願いします。

 

 


★2020年1月のフェライン例会400回記念パーティ及び新年会のお知らせ       (澤田名誉会長より)
ついこの間300回記念をお祝いしたかと思ったら、もう400回記念となりました。その間フェラインは格段に進化し、今や、ザルツブルクのモーツァルテウムからも、その活動内容につき称賛されています。パーティの概要は次の通りです。約10年に一度の機会ですから、会員の皆様は奮ってご参加下さい。
日時:2020年1月19日(日)12:00-14:00(20分程度延長は可)
場所:グランド・パレス・ホテル 九段
招待者:GERARD POULET+川島余里、久元祐子、田辺秀樹(計4名の先生方には勿論、後半の部で演奏をお願いしております)
参加費:9,000円(一人当たり)
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今後の例会予定 (OCC:お茶の水クリスチャンセンター)
10月26日(土)加藤 浩子氏 OCC415号室
11月30日(土)西川 尚生氏 OCC415号室
12月14日(土)15時開演:永峰 高志氏&久元 祐子氏コンサート・会場はベーゼンドルファー・ジャパンに変更されました!

 


第394回例会報告 (2019.7.13) 
お話:山崎 太郎 氏
(東京工業大学・リベラルアーツ研究教育院教授)
演題:メルヘンと歴史のはざまで
――モーツァルトの歌芝居《後宮からの逃走》解読
 2004年、日生劇場の《後宮からの逃走》(以下、《後宮》)でドラマトゥルクを担当したが、その経験を元に、このオペラの魅力と特にセリムの歴史的解釈に迫りたいと思う。
 《後宮》は1日を3幕に仕立てた古典的な台本で、進行を描くのではなく、ぎりぎりの状態で開幕し、感情が高まったとき、止むにやまれぬ思いが歌になって堰を切る「青春のオペラ」である。軸となるのは、貴族階級の若い恋人ベルモンテとコンスタンツェと、同じく海賊にさらわれてトルコの後宮に売られたベルモンテの家来ペドリロとその恋人でコンスタンツェの侍女ブロンデという二組のカップルだ。さらにイスラム側の男二人が二人の女性にそれぞれ横恋慕するというかたちで、二つの三角関係ができあがる。
面白いのは本来のカップルではなく、西欧の女性とイスラムの男性の組み合わせである。伝統社会の封建的な考えに捉われた後宮の番人オスミンにとって、男女同権を主張し、男が女に奉仕すべきだとさえ要求する勝ち気なブロンデは、自分が知っていたイスラムの女性たちとは全く違っているゆえに、新鮮で魅力的に映る。二つの異なる文化を背景にした男女のあいだに生じる二重唱=化学反応こそが、劇的な興趣を導き出している。
コンスタンツェと太守セリムの関係もまた別の意味で興味深い。故国の恋人に誠を貫き通すために、太守セリムの求愛を拒み続けるコンスタンツェだが、彼女の台詞や音楽には、すでに目の前の相手に惹かれつつある深層心理が覗けている。セリムは青春の息吹あふれるこのオペラにおける唯一の「大人」であり、若くて直情的なベルモンテにはない存在感でコンスタンツェの心を圧倒し呪縛する。歌が与えられていないセリムという人物は逆説を孕んだ特異な存在感によって、私たち観客の興味をも強く掻き立てる。歌うことによって心情を表現するすべを最初から奪われた不自由な存在であり、彼には一抹の寂しさが漂っている。加えて、「キリスト教からイスラム教に改宗し(Renegat)」太守の地位にまでのぼりつめたとされる彼には、若者たちとは較べものにならない人生の体験があり、彼につきまとう孤独の翳りもそのことに起因していると考えられる。
<DVD視聴>
第11曲 アリア〈ありとあらゆる責め苦のわざで…〉この曲には約10分の4分の1を占める前奏がある。曲の入りからコンスタンツェの歌い出しまでは2分強、舞台上の歌手が静止状態で待つにはあまりに長い時間だ。演出上の困難がつきまとう長い前奏を、なぜモーツァルトは書いたのであろうか? 
フランソワ・アブ・サレム演出(ザルツブルク音楽祭、1997年)では、前奏でソロを受け持つオーボエ・ヴァイオリン・フルート・チェロの独奏者4人が実際に舞台上に現われる。コンサート・アリアのようなこの曲の特異な構造をあえて視覚化したとも考えられるが、ここで舞台となるトルコの宮廷が、ほかならぬセリムの力が支配する圏域であることを考慮に入れるならば、あえて別の解釈を加えたくなる。すなわち4人の楽器奏者の登場もセリム自身の秘かな手配によるものであり、彼らが演奏するフレーズも、コンスタンツェを口説こうとする彼自身の本心の代弁いや象徴にほかならないのではないか。
アリアの直前、(ベルモンテへの愛を貫くことができないならば)死ぬ覚悟だと言い切るコンスタンツェに対して、セリムは死の代わりに「ありとあらゆる責め苦のわざで」彼女を自分になびかせてみせると迫るのだが、甘美な独奏楽器のフレーズは彼の台詞の残虐非道なイメージには全くそぐわない。セリムが彼女にかける「拷問」とはいわば、甘やかな誘(いざな)いの囁きなのであり、自分の心もこれ以上優しく迫られたら抗うことはできないと感じるがゆえに、コンスタンツェは狂乱したようなコロラトゥーラで最後の抵抗を示すのではないか。演出家ハリー・クプファーはこの曲全体を「歌う人間と歌わない人間のデュエット」と形容したが、そうした男女の愛のぶつかり合いを見事に視覚化した演出として、もう一つ、デイヴィド・マクヴィカー演出(グラインドボーン音楽祭、2015年)を紹介しておこう。
次に《後宮》の結末について、考えてみる。この作品は1781 年にベルリンで初演され評判を呼んだ歌劇《ベルモンテとコンスタンツェ》を下敷にしているが、モーツァルトと台本作者のシュテファニーはブレッツナーの台本にさまざまな手を加えた。ベルモンテらの脱走の試みが失敗し、窮地に陥った瀬戸際で、太守セリムの寛大な計らいで罪が許され、解放されるという大枠は変わらないものの、太守が彼らの処刑を取りやめる動機については全く違っている。原作では、ベルモンテとセリムが生き別れになった親子であることが判明するのだが、《後宮》では逆に二人が仇敵の関係にあることが発覚するのである。セリムがキリスト教徒である仇敵の息子を赦す《後宮》の結末はつとに、「異文化・異民族への寛容」という啓蒙の理想を体現するものとして強調されてきたが、それ以外にこれまでの研究が看過してきた重要な変更点がある。原作において親子の出身地とされるトレドという地名が《後宮》では消え、ベルモンテの父親が「オランの司令官」であったとされたが、なぜこの地名が作品の決定的な場面に書き加えられたのだろうか? 
 オランとは地中海に面したアルジェリアの港湾都市であり、1509年にスペインが占領したが、1708年から1732年までは再びイスラム領になっている。とりわけ1732年のスペインによるオラン奪還はヨーロッパ中が注目した事件であり、例えばウィーン新聞は、半年におよびほとんど毎号第1面で経緯と状況を伝えている。スペインが大艦隊を送ってオランを再び確保する必要があったのは、この地が地中海の安全保障上重要な、海賊たちの拠点であったからだ。当時、北アフリカにはバルバリア海賊が跋扈しており、ヨーロッパ商船を拿捕したり、スペインやイタリアの沿岸地域の村々を襲撃して多くのキリスト教徒を奴隷として捕らえ、イスラム諸国に売り飛ばすことで大きな利益をあげていた。コンスタンツェらが地中海航行中に海賊船に襲われ、奴隷としてセリムの宮廷に売られたというこのドラマの前史も、当時は現実味を帯びた話であった。
 モーツァルトの時代に至っても、新聞はオラン近隣をめぐる異民族間の紛争やヨーロッパ商船のバルバリア海賊による被害を散発的に伝えており、18世紀半ば以降に刊行された百科事典や書籍にもオランの戦史に関する記述が見つかるため、《後宮》の同時代人たちがある程度の知識をもっていた可能性は高い。
こうした背景を視野に入れながら、セリムの前半生を再構成してみよう。例えばだが、ベルモンテの父親を1732年のオラン攻略におけるスペイン側の司令官、セリムを当時のオランの統治者当人ないしはその周囲で重要な役割を担った人物と想定する。その場合、セリムの劇中の台詞「あの男のせいで、私は祖国を去らねばならなくなった。あの男のたわむことなき貪婪さが私から、命よりも大事に思う恋人を引き裂いた。誉ある地位も財産も、すべてのものを奪いとった」もまた、スペイン軍の暴虐行為をも裏に示唆しつつ、より具体的に切実な意味を帯びることになるだろう。実際、当時の資料を調べてみると、スペイン側ではオラン攻略に赫赫たる戦功をあげたモンテマール伯爵という軍人の名が、また一方、イスラム側を牽引して戦った人物として、一時はスペイン首相にまで上りつめながら、政治的失脚で故国を追われ、スペインに対し大きな憤りを抱くに至った改宗者の太守リッペルダという人物の名が浮上する。もちろん彼ら二人を《後宮》の直接のモデルと考えるのはあまりに短絡的であろうし、オランという地名のほか、作中には何の手掛かりも示されていないため、全てはあくまでも一つの読みの可能性、私自身の個人的仮説にすぎない。とはいえ、セリムの怒りを個人的な怨恨に限定せず、オリエント(イスラム圏)とヨーロッパ(キリスト教世界)との相克という、より大きな枠のなかで捉えてこそ、幕切れで示される「赦し」も、より大きな意味合いをもって受けとめることができるのではないだろうか。                (文責:松永洋一)
モーツァルトをとっておきの映像で楽しむ会報告 (2019.8.4) 
炎天下の日曜日にもかかわらず8名の方が訪れて下さいました。機材の運搬、セッティングに予想以上の時間を要してしまい40分遅れのスタートとなってしまいました。開始後は概ね予定通りに進行し、15曲の映像を全てご覧頂く事が出来ました。鑑賞会終了後は近くのファミレスで懇親会となりました。その中での声としてあったのがCDではわからなかったものが分かった、弦楽五重奏曲があんなに素晴らしいとは、ハチャトリアン姉弟の演奏が良かった、小倉喜久子さんのは解説付きで良かった等でした。今回遅れた原因は運搬とセッティングの時間の読みの甘さでした。今後また開催するとしたら正味を2時間に絞って行いたいと思います。今回のような貴重で素晴らしい映像は個人で楽しむにはあまりに勿体ない、モーツァルトを好きな方が集まって鑑賞するのが望ましいということを強く思いました。(文責:山田 健二)

モーツァルトをとっておきの映像で楽しむ会(2019.8.4)

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