第358回 モーツァルティアン・フェライン例会 2016年4月30日
 
 

 事務局レター【第233号】/2016年4月

 【編集者】澤田義博/石津勝男/川口ひろ子/笠島三枝子/大野康夫/倉島 収 mozartian_449*yahoo.co.jp  (スパムメールが増えてきましたのでリンクを外しました。お手数ですが*を@に替えて送信願います) 

 

●4月例会(第358回)のお知らせ 

演題:「詩人としてのモーツァルト」  お話し:田辺秀樹氏

 日時:2016年4月30日(土)午後2時(午後1時30分開場)

 会場:お茶の水「クリスチャンセンター」(JR「お茶の水」下車・徒歩3分) 

 例会費:¥3000(会員・一般共)


――― お話し:田辺秀樹氏

 今回は詩人としてのモーツァルトに光を当てたいと思います。父親あての手紙のなかでモーツァルトはこう言っています。「ぼくには詩は書けません。詩人じゃないですから。言い回しに工夫をこらして、光と影を生じさせるなんてこともできません。画家ではありませんから。暗示や身振りで、自分の気持ちや考えを表現するなんて芸当もできません。舞踏家ではないですから。でも、音によってなら、それをすることができます。ぼくは音楽家ですから。」

  たしかにモーツァルトは音楽家のなかの音楽家でした。しかし、音楽だけがモーツァルトのすべてというわけではありません。画家ではないと言いながら、漫画風の落書きは残していますし、舞踏家ではなくても、ダンスはひと一倍好きでした。そして、「詩」は? むろんモーツァルトは、彼が音楽家であったようには詩人ではありませんでした。しかし、モーツァルトが詩と無縁だったわけではありません。素晴らしいオペラをいくつも書き、ゲーテの『すみれ』に見事な曲をつけたモーツァルトが、詩の言葉に鈍感だったはずはありません。
  いつも良質のオペラ台本を物色していた彼は、膨大な量のリブレットの詩を読んでいたわけですし、自発的な歌曲の創作からもわかるように、同時代の詩人たちの詩もけっこう読んでいました。それだけではありません。モーツァルトは、「ぼくは詩人ではない」といいながら、(少なくとも形だけは)レッキとした詩をいくつも書いていますし、形は詩でなくても詩のようにおもしろい文章を、たくさん書き残しています。モーツァルトがどんな「詩人」だったか、ご紹介するつもりです。

  お話のあとは、今年も皆様のお許しがあれば、《酒席ピアノ》でお耳汚しをさせていただきます。 

 


 例会後は恒例の懇親会へのご参加をお待ちしております。 会場:「デリ・フランス」お茶の水店/03(5283)3051

 

 

●今後の例会のご案内(会場記載のないものはお茶の水クリスチャンセンターです)

  5月29日(日)  久元祐子氏+伊藤 翔氏(神奈川フィル指揮者)セレモアコンサートホール武蔵野
            チラシ:その1 チラシ:その2

  6月11日(土)  樋口隆一氏(国際音楽学会副会長)
  7月23日(土)  加藤浩子氏(音楽評論家)
  8月        夏休み
 9月        上野優子氏(ピアニスト)
  10月29日(土) 平野玲音氏(チェリスト)原宿カーサモーツァルト 

 

 


●事務局からのお知らせ 

来月5月29日(日)久元祐子氏の例会は、立川駅北口に2時15分までに来ていただけましたら、集まり次第4人づつタクシーで乗り合わせ会場に向かいます。
チケットの用意があります。今月例会で前売りをします。

 

 


●3月例会の報告(第357回/3月26日)

 演題:「<モーツァルトとハイドン>~作曲技法における相互の影響を考える~」
お話:森垣桂一氏(国立音楽大学 大学院 教授)

 1、はじめに
 この講演は、モーツァルトとハイドンの二人の友情の記念碑とも言える6曲の<ハイドン四重奏曲>を中心に、若いモーツァルトが先輩のハイドンの影響を受けたと思われる事例を譜面を通じて、CDを聴きながら考察するものであり、先輩作曲家ハイドンが交響曲や弦楽四重奏曲などの器楽創作面で成し遂げた様々な発明をモーツァルトがどのように取り入れたかを考え、お互いの作曲技法の相互の影響を考察しようと試みたものである。

 2、先輩ハイドンの作曲の歩み
 ハイドンは1732年にオーストリアのローラウという片田舎に生まれ、ウィーンのシュテファン教会少年合唱隊に属して音楽を苦学し、最初の四重奏曲を書いたのは25歳、最初の交響曲を書いたのが、27歳の時であり、29歳でエステルハージ家の副楽長、34歳で楽長に任命された努力の人であった。一方のモーツァルトは、父親から英才教育を受け、ロンドン旅行中の8歳で交響曲を書き、イタリア旅行中の14歳で弦楽四重奏曲を書いていた。
  ハイドンがディヴェルティメント風な四重奏曲から内声部の充実がみられる本格的な四重奏曲を書き始めたのは1772年の作品20<太陽四重奏曲>からとされており、これが1773年、ウィーンに旅行中のモーツァルトの目にとまり<ウィーン四重奏曲>(K.168~173)が作曲されたとされている。 

 

 

 3、ハイドンの<太陽四重奏曲>から影響を受けたとされる事例
  6曲の<太陽四重奏曲>の第5番ヘ短調のフィナーレ楽章は二主題のフーガで、主題がソット・ヴォーチェで現れ、4回ほど繰り返されて提示部を形成している。モーツァルトの<ウィーン四重奏曲>では、第1番K.168第二楽章のアンダンテにおいて同じヘ短調の調性でこのフーガ主題が借用されていた。この二曲をCDで聴き比べたが、この主題の一部は モーツァルトの<レクイエム>の「キリエ」に似ており、<レクイエム>の弦楽四重奏版による演奏もCDで聴くという楽しいハプニングがあった。

 4、ハイドンの<皇帝四重奏曲>作品76の3の第二楽章(変奏曲)を聴く
 この作品は、ハイドンの1797年の作品であるが、四重奏曲の4声の各パートの構成が良く分る事例として譜面を見ながら、映像で変奏曲の各楽器の動きを追ってみた。まず第一ヴァイオリンが主題を提示し、第一変奏は第二ヴァイオリンが主題を奏する上で第一ヴァイオリンが16分音符の対旋律を付ける2声の変奏であった。第二変奏ではチェロが、第三変奏ではヴィオラが主題を奏で、フィナーレでは第一ヴァイオリンに主題が戻るなどの工夫が凝らされている。4声が独立した動きを持ち明らかに内声部が充実してくる例として譜面で確認することができた。

 5、四重奏曲におけるハイドンの発明
  <太陽四重奏曲>やそれ以降の<ロシア四重奏曲>などのハイドンの四重奏曲において、作曲上ハイドン独自の発明とでも言える試みとして、1)全てのパートが主役になること、2)パートの交差を自由に行なうこと、3)楽器の音色・音域を考えて選択すること、4)楽器の音域や性能を極限まで使用すること、5)以上を通じて、四重奏の楽器は全てが主題労作に参加し、さらに労作はもはや展開部のみに限られるものでなく、作品全体のテクスチュアに行き渡ることが挙げられる。モーツァルトが<ハイドン四重奏曲>を作曲し始めたのは1782年以降のことであり、ハイドンが1781年に発表した<ロシア四重奏曲>作品33から受けた深い感動からである。
  ハイドンの作曲上の技法を習得しつつ「長くて辛い労苦の結実」として6曲の<ハイドン四重奏曲>が作曲されたと言える。 

 

 

 6、モーツァルトの弦楽四重奏曲ト長調K.387のフィナーレ楽章のスコアを追う
 このフィナーレはハイドンが試みてきたフーガを取り込んだ例であり、モーツァルトはこのフーガとソナタ形式の統一を果たした特筆すべきフィナーレの例とされ、このスタイルはあの<ジュピター交響曲>のフィナーレ楽章で完成を見たものと考えられている。
  先生が配布して下さったスコアには、各声部で出てくるフーガ主題が何種類か色分けされており、それがどういう順序で各声部に現れるかが理解できるようになっており、それをゲヴァントハウス弦楽四重奏団のDVDで楽器の動きを見ながら追跡してみた。
  スコアの色分けにより、フーガ提示部を終えて繰り返し後の展開部の複雑さも一目瞭然で、コーダにもフーガ主題がカノン風に現れていることが確認できた。スコアを見ながら丁寧に曲を聴く習慣のないわれわれにとって、5で指摘されたハイドンの発明的要素が各声部に満たされており、ハイドンの先駆的試みがあって、その影響を受けながらモーツァルトの作品が完成されていったことが、具体的に示されているような例であると思った。

 7、おわりに
 ハイドンとの友好関係を示す例として、イギリスの作曲家スティーヴン・ストーラス家での4人の作曲家(ハイドン、ディッタースドルフ、モーツァルト、ヴァンハル)による四重奏パーティで演奏された、4人の曲の珍しいCDを紹介していただいた。
  また1785年2月、レオポルドがウィーン滞在中に行なわれた<ハイドン四重奏曲>の後半3曲の試演会で、ハイドンがレオポルドに語ったとされる有名な誉め言葉の話もあり、お互いに尊敬し合っていた二人の作曲技法の相互の影響について、難しい話であったが、先生のお話で得るところが大きかったと思われた。

(以上)(2016/03/27、文責 倉島 収) 

 

 

 

 ●例会・懇親会 写真コーナー

 今回の懇親会場は、いつもの「デリ・フランス」お茶の水店に戻り、趣旨に賛同する有志一同で、講師の森垣桂一氏を中心に飲み会に早変わり。ビールで乾杯後、楽しく質疑・応答、懇親が行われた。 懇親会においては、皆さん元気いっぱい、話題も豊富で、楽しい賑やかなひとときを過ごすことが出来た。

     なお、写真を削除して欲しい方がおられたら、直ぐに担当宛てメールして頂くか、電話でもよいので、いつでも連絡して欲しいと思います。削除するのは実に簡単なので、作業は直ぐ実施します。 

  なお、写真が欲しい方は、原版はHP担当の倉島が全て保管していますので、例えば、懇親会4列の右側の写真の場合は、例えば、 懇上から4・右と言うように写真を特定して、 下記にメールしていただければ、次回例会までにお届けするようにしたします。ただし、恐縮ですが、 Lサイズで30円/枚のご負担をお願い致します。

 容量不足のため、09年の3年前の写真から、順番に削除しています。

お問い合わせ:ホームページ担当;倉島 収: メールはここから

 

 

 

 

 

 

 



 

第357回 モーツァルティアン・フェライン例会 2016年3月26日
 

 

 事務局レター【第232号】/2016年3月

 【編集者】澤田義博/石津勝男/川口ひろ子/笠島三枝子/大野康夫/倉島 収 mozartian_449*yahoo.co.jp  (スパムメールが増えてきましたのでリンクを外しました。お手数ですが*を@に替えて送信願います) 

 

●3月例会(第357回)のお知らせ 

演題:「<モーツアルトとハイドン>~作曲技法における相互の影響を考える~」  お話し:森垣桂一氏

 日時:2016年3月26日(土)午後2時(午後1時30分開場)

 会場:お茶の水「クリスチャンセンター」(JR「お茶の水」下車・徒歩3分) 

 例会費:¥2500(会員・一般共)


――― お話し:森垣桂一氏

モーツアルトは、ハイドンを「最愛の友」と呼びました。二人の友情の記念碑とも言える6曲の<ハイドン四重奏曲>を中心に、作曲技法の相互の影響を見ていきます。
モーツアルトは自らの弦楽四重奏曲について「長く辛い労苦の結実」と言いました。その弦楽四重奏曲で、ハイドンが器楽創作で成し遂げた様々な発明をモーツアルトがどのように取り入れたかを明らかにします。若いモーツアルトが先輩のハイドンの影響を受けたことは有名ですが、晩年のハイドンの作品にもモーツアルトの影響がみられます。
 「モーツアルトが弦楽四重奏と<レクイエム>だけで、他に何も書かなかったとしても、それだけで彼の名前を不滅のものとするのに十分である」と語ったハイドンの晩年の作品の中にモーツアルトからの影響を探り、二人の友情の足跡をたどります。 

 


 例会後は恒例の懇親会へのご参加をお待ちしております。 会場:「デリ・フランス」お茶の水店/03(5283)3051

 

 

●今後の例会のご案内(会場記載のないものはお茶の水クリスチャンセンターです)

  4月30日(土)  田辺秀樹氏
  5月29日(日)  久元祐子氏+伊藤 翔氏(神奈川フィル指揮者)セレモアコンサートホール武蔵野
  6月11日(土)  樋口隆一氏(国際音楽学会副会長)
  7月23日(土)  加藤浩子氏(音楽評論家) 

 

 


●お知らせ 

 お手元に届いた季刊誌の中に会費の振込に関する重要なお知らせをいれさせていただきました。ご面倒をおかけしますが、新しい振込方法にご理解とご協力をお願い致します。
なお、例会でも直接お支払い頂けます。

 訃報:1月の例会でピアノ演奏等、フェラインの活動に貢献頂きました渡辺勝氏が急逝されました。享年83歳。心からご冥福をお祈り申し上げます。

    事務局 笠島 三枝子 

 


●2月例会の報告(第356回/2月27日)

 演題:《ドン・ジョヴァンニ》における人物描写再考
お話:伊藤 綾氏(鹿児島国際大学)

  伊藤綾先生はドイツ、カールスルーエ大学人文学研究科 博士課程修了(哲学博士)、専門研究分野は声楽作品における音楽と言葉の関係、拍節法。現在は鹿児島国際大学国際文化学部音楽学科で准教授をなさっておられます。
  フェラインでのご講演は二年ぶりですが、今回はご案内の様に、「《ドン・ジョヴァンニ》における人物描写再考」というお話を頂きましたでのその内容の要旨をお伝え致します。 

Ⅰ.「ドン・ファン伝説」から『ドン・ジョヴァンニ』まで

 17世紀スペインで生まれた伝説の色男「ドン・ファン」を題材にした作品は、様々な国に様々な形で存在するが、ダ・ポンテとモーツアルトによるオペラ《ドン・ジョヴァンニ》ほど洗練され、人々の心を捉えている作品はないだろう。
この作品はモーツァルト自身によって「オペラ・ブッファ(喜歌劇)」に分類されているが、その内容はこれまでの喜歌劇の概念を大きく覆すものであり、前年に作曲した同じくダ・ポンテ台本の喜歌劇《フィガロの結婚》ともまったく異なるスタイルを有している。ここから《ドン・ジョヴァンニ》において、これまでにない新しいオペラのスタイルを打ち出そうとしたダ・ポンテとモーツァルトの意欲をみてとることができる。

 (1)ティルソ・デ・モリーナ『セビーリャの色事師と石の招客』(1630年)
  この主人公は、神をおそれぬ高慢で残酷な誘惑者で最後は地獄へ落ちるが、被害に会った登場人物は各々ハッピーエンドに終る。物語はスペインの伝説に基づいているが、作者は修道院の僧侶であるため道徳的で宗教色が感じられる。

 (2)モリエール『ドン・ジュアンもしくは石像の宴』(1665年)
  モリーナの「色事師」はイタリアでは伝統的な即興演劇「コンメディア・デッラルテ」に取り込まれ、よりカサノヴァ的色合いを強めていく。一方フランスにおけるドン・ファン伝説は、より人間劇的な要素を強めていく。モリエールの作品では、従者スガナレロ(レポレッロ)の語りを通して主人公に関する性格づけを行っており、モリエール自身がその従者を演じるなどそれまでの劇の情熱は冷めて理性的な感触を受ける。

 (3)ロレッツォ・ダ・ポンテ『罰を受けた放蕩者あるいはドン・ジョヴァンニ』
  こうした歌劇におけるドン・ファン劇の流れはやがてオペラの世界にも伝わり、ダ・ポンテとモーツァルトに直接の刺激を与え、不朽の名作の創造を促したのは、ベルターティの台本、カッツァニーガの作曲になる《石の賓客》(1787年)であった。ダ・ポンテの台本がベルターティを手本としたことは、両者を比較すると理解できるが、ダ・ポンテの手によって、この劇が更に優れたものになっていることも見逃がせない。 

 

 

Ⅱ.オペラ《ドン・ジョヴァンニ》の切り開いた「新しい道」

 1)プラハ版とウィーン版

  1787年10月29日プラハで初演されたこのオペラは大成功を収めたが、翌年5月に行われたウィーン初演ではそれほどの評判にはならなかった。しかしモーツァルトはこの上演に大きな期待をかけ、いくつかの新曲を書き加えたのである。このウィーン版の中でも第2幕第10場アリア№21b(エルヴィーラ)は微妙な女心が音楽で見事に描かれ、胸さわぎを表わすファルミスタットや、ため息の音型など意図的に使われて大変印象的である。
  エルヴィーラの秘めている弱さや苦悩の描写に合わせてオーケストラも半音下行をスラーで継ぐ「ため息の音型」を使い、重要な所を意図的に繰返すなどモーツァルトの想い入れが感じられる。この他オッターヴォのアリアやレポレッロとツェルリーナの二重唱に於ける差し替えの箇所もあるが、必ずしもウィーンの聴衆や歌手に対する妥協だけではなく、作品の完成度を高めようする意欲もみられるのである。

 2)ロマン的オペラの萌芽

  このオペラでは序曲のあと、冒頭から婦人への凌辱や殺人の場面が出てきて観客は意表をつかれる。「カタログの歌」など見せ場やブッファ的な面もあるが最後は裁きを受けて主人公は地獄へ落ちていく。これはもはやオペラ・ブッファの域を超えており、異界と人間界の接触を描いた点や、完璧ではない人間像を描くというリアリズムの登場などに「ロマン的オペラの萌芽」が感じられる。

 3)《ドン・ジョヴァンニ》が作り上げたニ短調の世界観

  序曲冒頭のアンダンテ部分は、最後の亡霊の場面でも出てくる。しかし後者では冒頭にはない「減七の和音」が使われており、デモーニッシュなもののイメージを音楽で明確に表現している。さらにこの部分の調性であるニ短調は、まさに《ドン・ジョヴァンニ》によってデモーニッシュな調としての性格を確立し、のちの作曲家に多大な影響を及ぼした。
  このオペラにおいてニ短調が使用されている場面は全部で8箇所あり、すべてはデモーニッシュなものとの遭遇や対決と結びつけることができる。なかでも、ドン・ジョヴァンニの次にドンナ・アンナがこのニ短調と多く関わっている点が興味深い。

 4)ドンナ・アンナとニ短調の関係

  ドンナ・アンナはまったく世間知らずの箱入り娘であった。そこへ突然、男性フェロモンの塊のようなドン・ジョヴァンニが現れ、彼女の体も精神も混乱させてしまう。この事件を通し、ドンナ・アンナは父親を殺されたことによる耐え難い憎しみの気持と、異性に対して目ざめたことに対する複雑な気持ちを同時に抱えることとなる。
その一方で彼女は自分を守ってくれるだけの存在である婚約者ドン・オッターヴィオに対してはエロスを感じることが出来ない。従って彼女にはオッターヴィオの言動やアリアの内容も空々しく聴え、二人の間にはかなりの温度が感じられる。第1幕第3場、父親が殺害されてドンナ・アンナが悲しみと驚きで気を失いかけた場面、オッターヴィオは「この人の眼から、隠してくれ、遠ざけてくれ、その怖しいものを。」と遺体を単に「もの」と言い切る非人間的な言動の白々しさ。しかしこのあとドンナ・アンナは殺人者をさがしだし、血の復讐をすると誓い、激烈な二重唱を唄うがこれはニ短調で書かれている。
この場面をDVDで観てみるとオッターヴィオが「あなたの目にかけて誓う……」と言ったあとのドンナ・アンナのなんと白けた表情、二人の気持のずれ、価値観の相違が見事に表現されていたと思う。ドンナ・アンナは第1幕第13場第10曲、ドン・ジョヴァンニの正体がわかってから唄うアリア「Or sai chi l'onore」では怒りに震えて、ニ長調、ニ短調、ヘ短調と激しく転調する。第2幕フィナーレでは登場人物が各々に自分の未来について唱う場面において、オッターヴィオは「今こそ結婚しましょう…」と自分中心に語るが、ドンナ・アンナは「あと一年、私の心が落ち着くまで待って下さい…」と答える。
 自分が正しいと信じてきた世界観・価値観がドン・ジョヴァンニによって揺り動かされた今、閉鎖的な元の生活に戻るのにはそれ相応の時間を必要とするのである。

モーツァルトは古典派の作曲家ではあるが、ことオペラ作品に於いては詳細な人間観察にふみ込んでいる点で、ロマン派の先駆けとなっていると言えるのではないだろうか。その転換期的な作品が《ドン・ジョヴァンニ》であり、この作品の魅力であるといえよう。

 以上伊藤綾先生のお話の要点をまとめてみました。このオペラの登場人物の中で筆者は今までエルヴィーラの存在や歌唱に関心が片寄っていました。今回のお話の中でドンナ・アンナの重要性が女性の視点で語られたことは大いに注目され勉強させられました。大変有意義なご講演を頂き心より感謝申し上げます。

                    (文責)石津勝男

 (参考図書)モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」:アッテラ・チャンバイ、D・ホラント編  音楽之友社(1988年)
 (使用DVD)「ドン・ジョヴァンニ」ピーター・ホール(演出):ハイティンク指揮ロンドンP.O(グラインドボーン1977) 、ラクソン(ドン)、ブラニステアーヌ(D・アンナ)、ヤカール(エルヴィーラ) 

 

 

 


 ●例会・懇親会 写真コーナー

 今回の懇親会場は、いつもの「デリ・フランス」お茶の水店に戻り、趣旨に賛同する有志一同で、講師 の伊藤 綾氏を中心に飲み会に早変わり。ビールで乾杯後、楽しく質疑・応答、懇親が行われた。 懇親会においては、皆さん元気いっぱい、話題も豊富で、楽しい賑やかなひとときを過ごすことが出来た。

     なお、写真を削除して欲しい方がおられたら、直ぐに担当宛てメールして頂くか、電話でもよいので、 いつでも連絡して欲しいと思います。削除するのは実に簡単なので、作業は直ぐ実施します。 

  なお、写真が欲しい方は、原版はHP担当の倉島が全て保管していますので、例えば、懇親会4列の 右側の写真の場合は、例えば、 懇上から4・右と言うように写真を特定して、 下記にメールしていただければ、次回例会までにお届けするようにしたします。ただし、恐縮ですが、 Lサイズで30円/枚のご負担をお願い致します。

 容量不足のため、09年の3年前の写真から、順番に削除しています。

お問い合わせ:ホームページ担当;倉島 収: メールはここから

 

 

 

 

 

 


 

第356回 モーツァルティアン・フェライン例会 2016年2月27日
 
 

 事務局レター【第231号】/2016年2月

 【編集者】澤田義博/石津勝男/川口ひろ子/高橋徹/笠島三枝子/大野康夫/倉島 収 mozartian_449*yahoo.co.jp  (スパムメールが増えてきましたのでリンクを外しました。お手数ですが*を@に替えて送信願います) 

 

●2月例会(第356回)のお知らせ 

演題:「《ドン・ジョヴァンニ》における人物描写再考」

   お話: 伊藤綾氏

 日時:2月27日(土)午後2時 (午後1時30分 開場)

 会場:お茶の水「クリスチャンセンター」(JR「お茶の水」下車・徒歩3分) 

 例会費:¥2500(会員・一般共)


――――― 伊藤綾氏からのメッセージ

 17世紀スペインで生まれた伝説の色男「ドン・ファン」を題材にした作品は、様々な国に様々な形で存在しますが、ダ・ポンテとモーツァルトによるオペラ《ドン・ジョヴァンニ》ほど洗練され、人々の心を捉えている作品はないでしょう。
この作品はモーツァルト自身によって「オペラ・ジョコーゾ(喜歌劇)」に分類されていますが、その内容はこれまでの喜歌劇の概念を大きく覆すものであり、前年に作曲した同じくダ・ポンテ台本の喜歌劇《フィガロの結婚》ともまったく異なるスタイルを有しています。
ここから《ドン・ジョヴァンニ》において、これまでにない新しいオペラのスタイルを打ち出そうとしたダ・ポンテとモーツァルトの意欲をみてとることができましょう。

  本講演の前半では、ティルソ・デ・モリーナの戯曲『セビーリャの色事師と石の招客』(1630年)、モリエールの『ドン・ジュアン』(1665年)およびオペラ《ドン・ジョヴァンニ》(1787年)を比較し、各登場人物の性格と役割の描き分けについて見ていきます。
 後半では、モーツァルトが登場人物の人間性をどのように解釈し、音楽で表現したのかを考察することにより、この作品の革新性と独創性を具体的に明らかにしたいと考えています 

 

 

例会後は恒例の懇親会へのご参加をお待ちしております。
会場:「デリ・フランス」お茶の水店/03(5283)3051

 

 

●今後の例会のご案内(会場記載のないものはお茶の水クリスチャンセンターです)

  3月26日(土) 森垣桂一氏
  4月30日(土) 田辺秀樹氏
  5月29日(日) 久元祐子氏 伊藤翔氏(神奈川フィル指揮者)(立川のセレモア・ホール)
  6月11日(土) 樋口隆一氏(前日本音楽会副会長)
  7月23日(土) 加藤浩子氏(音楽評論家)

 

 

 

●1月例会報告( 第355回 /1月16日)

モーツァルティアン・フェライン会員参加による新年会

 会員有志によるお話と演奏で構成される1月例会「モーツァルティアン・フェライン新年会」は、今年で14回目を迎え、御茶ノ水クリスチャンセンターで賑やかに開催されました。以下、要旨を報告致します。
 前半のお話の部は倉島副会長の司会で始められました。 

 《第1部 お話》

 (1)沢田会長による新年の御挨拶

  新年の御挨拶に続いて、モーツァルティアン・フェラインの今年のスローガンを“Back to basics”とすると所信を述べられました。その意味は「基本に戻れ」。1990年代にアメリカで流行した言葉です。当会に当てはめれば「初心に戻れ」となるでしょう。具体的な目標としては以下の3つがあげられます。
 1)何事も「初心に帰れ」の精神で!つまり、モーツァルトの音楽を愛し、更に理解度を深めていくこと。フェラインを創設した、諸先輩の熱意を受け継ぎ、更に進化させること。
 2)国際化の推進  具体的な例としては、イタリアモーツァルト協会或いは、モーツァルテウムとの交流を深める。演奏家も更に外国人を増やす。
 3)有能な、若い音楽家又は、研究者の活動を支援する。
 変化の激しい現代ですが、初々しい心で,真摯にモーツァルトを聴き、豊かな1年であれと、望みます。 


 (2)山崎博康さん 「季刊100号記念特集版の準備を開始!皆様のお知恵を貸して下さい」

  「季刊モーツァルティアン」は、2017年3月号の発行でちょうど100号になります。季刊誌編集長の山崎さんは、目下これを「記念特集号」にするべく構想を練っています。モーツァルトと共に生きる。よき伝統を継承し、展望を探る。を基本理念として、以下の具体案を話して下さいました。
 今年末までに原稿を揃える。体裁は、通常の季刊誌5冊分の特集仕立てにして豪華版にするか、内輪なものにするか、皆さんのご意見を参考にして決める。内容としては、澤田会長の巻頭言、先生方のお祝いの言葉、会員の論文、エッセイ、全会員へのアンケート、演奏する会員の写真入りの紹介、等を予定しています。

 


 (3)伊藤敬さん 「私のモーツァルト」

  先ずは、レオポルト・モーツァルトの英才教育についてのお話でした。父レオポルトは、並はずれた才能を持つ息子を最高の音楽家に育てることが、神の恩に対する自分の勤めであると確信していました。優れた音楽家であるだけでなく、最良の教育者で、絵画にも造詣深く、幅広い教養人であった父は、息子に対して、学校で行われる国語、外国語、算数、理科、その他、全課目を、当時の最先端の画期的な方法で教え込みました。
 音楽に関しては、姉ナンネルに教えたことを弟ヴォルフガングはすぐに理解し、そして、たちまちに、父の作品を超えるまでに上達します。息子もまた主体性のある立派な音楽家でした。 後半のオペラに関しては、時間の関係で短縮されて残念。次の機会を期待しています。 

 


 (4)中村澄枝さん 「今、サロンコンサートの時代。音楽を愛する人のための場所・原宿カーサ・モーツァルトのこと」

  カーサ・モーツァルトは、澄枝氏の御夫君の中村真氏の理想を実現する場所として、1983年、原宿に開設されました。
そのオープニングに、ウィーン楽友協会資料室長のオットー・ビーバー博士御夫妻が来場され、祝詞を述べました。その模様を記録したDVD映像が披露されました。通訳なさった若松氏、故高橋英郎先生、奥様の照美先生、江端さん、皆若々しく、活気に溢れたお姿が映し出されていました。真先生は「今は一滴だが、これがドナウの流れのようになって欲しい。皆様方のお力を期待する」と、挨拶されました。
  現在は、父君の遺志を長男の中村孝氏が継いで「一般社団法人カーサ・モーツァルト」の代表理事として「もっと気軽に生演奏を」の理念の下、この音楽サロンの運営をされています

 

 

以上でお話の部を終了し、15分程の休憩の後、第2部へ。 司会は石津副会長に代わりました。

 《第2部 演奏》


 (5)大野康夫さん ギター独奏「ギターで弾くモーツァルト」

 先ずロンドン楽譜帳よりK15mmアンダンテ。8歳のモーツァルトによって作曲された可愛らしいチェンバロ曲をギターにアレンジした曲が演奏されました。続いて、オペラ「フィガロの結婚」K492よりお馴染みの、少年ケルビーノが伯爵夫人前で歌う「恋とはどんなものかしら」。大野氏は去年より上達しており、色彩豊かなギターの音色が魅力的でした。 

 


 (6)渡辺 勝さん ピアノ独奏 K439bから第16番のソナタ楽章、ハ長調   編曲もしました。

  渡辺氏はモーツァルトの珍しい楽譜を多数収集しておられます。今回は、このコレクションの中からご自分でピアノ曲に編曲して、演奏して下さったのでしょう。
  原曲は「バセットホルン3本による5つのディヴェルティメント[25の小品] K439b」。自筆譜をはじめとする確かな資料が不足するために、様々な解釈が行われていますが、これぞモーツァルトと言うべき旋律が随所に現れ、「珠玉のような」という形容がぴったりの愛らしい小品です。今回のピアノ編曲版でもその可憐さが充分表現されていました。 

 


 (7)真部 淳さん「CDとピアノ演奏を伴ったミニトーク レクイエム雑考」

レクイエムはニ短調で作曲されています。ピアノ協奏曲20番K466もニ短調で書かれています。いずれも極めて激しい情念を秘めているといわれ、独特の個性を持っています。
 真部さんは、レクイエムのイントゥロイトゥス(入祭文)の厳粛な始まり、と、ピアノ協奏曲20番の冒頭のディモーニッシュな音調、この2つの共通点を、ピアノを演奏しながら解説して下さいました。 続いて、参考演奏として、2015年11月2日に聖路加礼拝堂で開催された、越前成旭指揮の聖ルカ・フィルハーモニー、聖ルカ聖歌隊による、レクイエムのCD録音を聴きました。真部さんもクラリネットで参加なさったという、記念すべき演奏です。チャペル独特の響きが素晴らしく、聴き入りました。

 


 (8)松永洋一さん バス独唱『フィガロの結婚』第1幕より 「もし踊りをなさりたければ」、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」  ピアノ伴奏 真部 淳

  「もし踊りをなさりたければ」は、舞曲である点が特筆に値します。歌詞の比喩、音の跳躍や音形から、伯爵に対する反抗的、敵対意志を示していると解釈されます。
 「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」は、フィガロの代名詞ともいえるアリアです。伯爵から軍隊への入隊を命じられたケルビーノを鼓舞する行進曲です。フィガロ自身の心情を歌いあげることはなく、ある意味ケルビーノ(もしくはモーツァルト)の代弁者として聴衆に語りかけています。松永さんの、まことに豊かな声量とメリハリの利いた歌唱は、まるで、オペラの舞台を観ているような、素晴らしいものでした。 

 


 (9)笠島三枝子さん、ソプラノ独唱 「魔笛」K620 夜の女王のアリア「ああ 恐れおののく・」  ピアノ伴奏 真部 淳

オペラの聴衆の誰もが、その超絶技巧を期待する華やかなアリアです。復讐に憑かれ、怒り心頭の夜の女王が、娘を救出してくれるようタミーノに命令し、成功すれば娘はあなたのもの!と宣言します。笠島さんは今年も、このアリアの後半に展開する最も難易度の高いコロラトゥーラに挑戦しました。
 気合が入ってしまうと喉が開かないので注意した、とのことですが、ソプラノの最高音のラよりもはるかに高いこの曲に挑む心意気は、実に素晴らしいと思いました 

 


(10)田中進さん、バリトン独唱 K524「クローエに」 ピアノ伴奏 真部淳

 通常はソプラノで歌われるドイツリート「クローエに」をバリトンで歌って下さいました。過去毎年歌われるオペラアリアよりは、感情表現を控えめにして、しっとりと歌われました。田中さんは、年毎に、声につややかさが増します。恋する若者の青春のときめきが聞こえて来るような、素晴らしい歌唱でした。 

 


 (11)笠島*田中  2重唱 喜劇的2重唱「いざ、いとしき乙女よ」  ピアノ伴奏 真部淳

  この曲・K625(592a)は、シカネーダーの台本によるオペラ「賢者の石」に挿入された2重唱です。魔法で猫にされてしまったルパーノとルパーナが歌います。 「さあ、可愛いお嬢さん 僕と行こうよ」と言う雄猫の誘いに、「ミヤウ ミヤウ」としか答えない雌猫、どうにも埒が明きません。いろいろあって、とうとうとう、雄、雌2匹で「ミヤウ ミヤウ」と歌って終わりとなります。
  田中さんは、今年もウイットに富んだ選曲で、私たちを喜ばして下さいました。笠島さんの可愛らしい雌猫への素早い変装も見事、新年会の最後を飾るのにふさわしい洒落っ気一杯の2重唱でした。                   

 川口記 

 

 

 

 

 

 


●例会・懇親会 写真コーナー

 今回の懇親会場は、いつもの「デリ・フランス」お茶の水店に戻り、趣旨に賛同する有志一同で飲み会 に早変わり。ビールで乾杯後、楽しく質疑・応答、懇親が行われた。 懇親会においては、皆さん元気いっぱい、話題も豊富で、楽しい賑やかなひとときを過ごすことが 出来た。
 

 

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